11月21日(木)10時、西部池袋線飯能駅に集合。駅北口からバスに乗り天覧山下で下車。徒歩2分ほどで曹洞宗専仁寺に着く。この寺は、紅葉が有名で、この時期には沿線や各方面から紅葉狩りを楽しむ人たちがやって来る。また、通称「スポーツ寺」とも呼ばれている。これは先代住職がスポーツ記者をしている頃から、巨人軍、長嶋、王選手それに、相撲で横綱千代の富士、ゴルフで岡本綾子たちと懇意にしていた関係から、スポーツ関係者がしばしば当山を訪れていたことから呼ばれていたと云う。境内の本堂をはじめとした七堂伽藍は堂々たるもので、それを取り囲む、木々の紅葉は誠に素晴らしいものがある。しばし、境内を散策して、天覧山に向かって歩む。
 途中、休憩広場で、小休止して、20分ほど行くと天覧山に辿り着く。明治天皇が、近衛歩兵連隊を謁見したところから名付けられたと言う天覧山。山頂は平坦な広場になっていて、眺望もよく、飯能の町がよく見下ろせられた。天覧山からは、かなり深く下っていくが、平坦になった谷部を進むと急峻な尾根道にさしかかり、ここを一気に登っていった。約25分ほどで、ようやく多峰主山の山頂に辿り着いた。海抜、271mと書かれた山頂説明板が立っている。すでに多くのハイカーが来ていて、ベンチは満員状態。それぞれ分かれて適当な場所を見付けて、ランチタイムとした。快晴の青空に望める富士山、秩父連山そして遠く、副都心、スカイツリーを眺めながらのお弁当は格別でした。
 腹ごしらえをして、40分ほど経ってから下山し、山の中腹にある御嶽神社に向かった。途中、江戸時代、この付近の領主であった黒田家藩主の墓を参詣して、そこから10分ほどで御嶽神社に到着した。御嶽神社は、秩父御嶽神社から分霊された小社であるが、社殿の周囲は多くの石碑が建てられており、篤い信仰に守られてきたことが伺える。
  緩い山道を15分ほど下ると街道に出る。この辺りは永田大杉という小落であるが、大きな老人ホームや幼稚園、市民ホールが建っていて、村のコミュニケーションが行き届いている印象である。ここから段丘の底を目指して、10分ほど進むと渓谷「吾妻峡」に到着した。流れる川は入間川で、この川は下って、川越に入り、そこから荒川に合流して千住へ、そして隅田川に入って東京湾に注がれるそうだ。この渓谷を流れる川は、流れが早く、雨天になると上流のたくさんの渓流から集まる水が流れ込み一挙に水量が増え、先の台風19号では、深い谷底も、大河のような濁流になったため、付近の住民も大いに警戒したそうである。この川のせせらぎを聞きながら、畔で温かい珈琲をいただき、しばし休憩を取りました。休憩後、辿った道を戻り、永田大杉からバスに乗り、飯能駅に戻りました。(文・石井義文)
能仁寺
 曹洞宗能仁寺は室町時代に創建された。江戸時代後期、常陸下館藩主・黒田直邦が、転封して飯能を治めたとき、荒廃していた同寺を大改築して、七堂伽藍を完成させた。それから寺は大いに栄華を誇ってきた。しかし幕末期、彰義隊から分派した振武隊が能仁寺に立て籠もり、新政府軍と衝突した際、寺の主要伽藍は焼失してしまった。明治後期頃から、有力壇越の支援を受けて、主要堂宇が次々再建され、本堂は昭和11年に完成し、今日に至っている。西武沿線の紅葉の名所として知られる名刹である。
休憩広場
 天覧山
多峰主山
 入間川は、下って川越に入り、そこで荒川に合流して千住に至る。江戸時代は、材木、農作物等を江戸に舟運する主要河川であった。
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