本立寺
本立寺
  日蓮が弘長元年(1261年)伊東へ配流された際、江川家16代当主英親が日蓮の宗義に感銘を受け、剃髪し日久と称した。江川氏は平安時代末から続く名家で、五代執権北条時頼に酒を寄進して褒められているという。また、北条早雲はそれを「江川酒」として贈答品としたという。1506年には英盛が邸内にあった大乗庵を移築し本立寺を創建。現在の本堂は山崩れや火災により消失した後、大正13年から五ヵ年を経て昭和3年に入仏式を行い完成したものです。刀工胤長の墓、元徳4年(1332)銘の旧鎌倉東慶寺の梵鐘などがあります。
  本立寺の鐘楼は、鎌倉の東慶寺にあった梵鐘が吊されている。元徳4年・元弘2年(1332)に鋳造されたもので、大旦那は覚海円成。 覚海尼は安達泰家の娘で、9代執権北条貞時の側室、14代執権北条高時の母。
梵鐘銘文の最初には「相陽山内松岡山東慶禅寺鐘銘」とあり、文末には「壬申元徳二二年結制後十一日」、「大檀那菩薩戒尼円成」とある。鋳造された翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったのだという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川家の菩提所へ移されたものと思われる。(伊豆国市観光協会)


       





                                                                                                                                                      * 写真は一部、web上から拝用させていただいています