本立寺の鐘楼は、鎌倉の東慶寺にあった梵鐘が吊されている。元徳4年・元弘2年(1332)に鋳造されたもので、大旦那は覚海円成。 覚海尼は安達泰家の娘で、9代執権北条貞時の側室、14代執権北条高時の母。
梵鐘銘文の最初には「相陽山内松岡山東慶禅寺鐘銘」とあり、文末には「壬申元徳二二年結制後十一日」、「大檀那菩薩戒尼円成」とある。鋳造された翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったのだという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川家の菩提所へ移されたものと思われる。(伊豆国市観光協会) |
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