上総国分寺、国分尼寺散策
 2020年10月3日(土) 上総国分寺を散策するため、市原市の中心地、内房線五井駅に10:00集合した。当駅発のバスで、市原市役所前下車。そこから徒歩10分ほどの上総国分尼寺跡地に建てられた上総国分尼寺展示館に到着。館内を見学する。
 上総国分寺、国分尼寺の所在地を地図で見ると、比較的高台に立地している。これは、自然災害を避けて、建立されたことが伺い知れる。
 国分寺・国分尼寺の発掘現場からは、僧寺(金寺)、尼寺(法花寺)と墨書された土器や硬板に刻まれた経文板が出土している。そして、建築道具の手斧(ちょうな)、鑿(のみ)、鎹(かすがい)釘類も発見されており、当時において、高度な建築技術が習得されていて、多くの大工職人がいたことが伺い知れる。
上総国分寺
  寺伝によると、上総国分寺は元禄年間(1688-1704)に、僧快応によって再興され、正徳6年(1716)に、現在の薬師堂が落成したと伝わる。薬師堂は、江戸時代の正徳6年(1716)の建立と云われ、堂内の厨子に本尊が安置されている。仁王門は、江戸時代中頃の建立された。また仁王門内の金剛力士像は、それぞれ阿形は南北朝時代、吽形は江戸時代の作で、いずれも市原市指定文化財に指定されている。
 薬師堂 堂内の天井画
飯香岡八幡宮
 飯香岡八幡宮 (いいがおかはちまんぐう)
   飯香岡八幡宮は社伝によると、白鳳3年(675)天武天皇の勅命により創建された。天平3年(795)には、上総国の総社として広く信仰を集めた。中世以降も、八幡宮信仰の中心地として、関東武士団や庶民の崇敬を受けてきた。本殿は、室町時代、足利義政の寄進、拝殿は江戸元禄年間の建立と伝わる。柱、梁は総丹塗り、屋根は銅板葺きの入母屋造り太い木組みや組物、彫刻、面取角柱などの部材は力強く簡素である。拝殿は正面に唐破風と千鳥破風が突き出し海老虹梁などの彫刻と相まって華麗な雰囲気を醸し出している。また、当社には12基の漆塗金銅装の御輿があり、うち4基は、足利義満によって奉納されたという。その他、德川家康の武運長久を祈って、家臣本多弥八郎が奉納した大太刀が保存されている。この太刀は、今日でも、例大祭の旧暦8月15日には、御神刀として供えられている。
愛嬌のある顔をしている狛犬