2017年12月9日(土) 冷ややかな気温ながら天気晴朗の日、第31回 お江戸散策を実施することになり、東急大井町線九品仏駅前の浄真寺参道入口に、散策愛好者12名が集合した。早速、最初の散策地、浄土宗の古刹 九品仏浄真寺へ向かう。真っ直ぐの参道を行くと意匠の凝った総門がある。この寺院は土塁で盛り上げ高い塀で囲まれているが、これは室町時代、ここが世田谷吉良氏の奥沢城があった所の名残である。総門を入った境内には山門、鐘楼、本堂、開山堂、三仏堂など重厚な装いの堂宇が伽藍を形成している。本堂には金色に輝く釈迦如来座像が鎮座して、慈悲の眼で向えてくれる。本尊の脇には善導大師、法然上人、珂碩(かせき)上人等の高僧が並んでいて、拝顔しただけで説法を受けた気分になれる。上品、中品、下品の三仏堂には、それぞれ三体の阿弥陀像、計九体の仏が螺髪を青くして瞑想に耽っている。これらの仏は極楽浄土への先導役で、人が生前に善行をしたかどうかで区分けされると云う。最も品行方正、善行慈悲を尽くした人は上品上生が導き、これに反して最も蛮行極悪を行った者は下品下生仏が浄土に導くと云われている。また、墓域には東急電鉄創始者五島慶太、それを中興した長男の五島昇やアメリカでレストランベニハナを設立してアメリカンドリームを果たしたロッキー青木が眠っている。この時期の浄真寺は真紅に紅葉した楓や黄色に輝くイチョウの木々が実に美しく沢山の参詣者が訪れていた。身近なところにある紅葉の名所として一度は訪れる価値があると思った。九品仏浄真寺の風情を堪能してから、九品仏駅方面から環状8号線を横切って、古社・宇佐神社に向かった。
浄真寺
 平安時代にはあった古道の寮の坂を下った所に宇佐神社がある。この神社は源頼義が康平5年(1063)に奥州を平定して、凱旋した折、この地に訪れて八幡社を造営して豊後の国の宇佐八幡宮にあやかって宇佐神社と名付けたと社伝に記されていると云う。ここには6世紀頃周辺を支配していた首長が埋葬された八幡塚古墳のあるところで、現在の周辺は、高級住宅街が立ち並ぶ一角なので、そのコンストラストは興味深い。神社前の道を隔てて傳乗寺がある。小さな浄土宗の寺院であるが切妻風の山門や瓦葺きの五重塔は堂々たる風格を示している。しばし堂宇を散見して次に向かった。昼食までは、まだ早いが近隣にレストランも見当たらないので、東京都市大学の学生食堂でランチタイムを取ることにした。学生数約7000名を有する大学の食堂は、広く、明るくそしてティーラウンジも充実していてゆっくり過ごすことができました。
宇佐神社
傳乗寺
【ランチタイム】
東京都市大学の学生食堂は、明るく、広い空間があり、ゆっくり寛げることができた 
 昼食を取った後、大学の北側を流れる丸子川に沿って上流へ20分程進むと、朱色の橋があり、橋を渡ると正面に色彩豊かな三門を持つ寺院が現れた。真言宗智山派善養寺である。山門の周辺には、火除けの神獣、儒者の石像、守備隊長の像、そして山門を潜ると唐風の本堂とその正面前には大日如来坐像が鎮座している。一見、中国かインドの寺院かと思うような光景である。たまたま、当日ある家の納骨の儀があり、御住職が「鐘楼の梵鐘を打つので聞いて行きなさい」と言ってくれたので、深い響きのある鐘を拝聴することができた。また、墓所には、最近完成したと云う梵字で書かれた「吽字喝」の石碑があり、見学させていただいた。その他、境内には樹齢700年を超すと云う榧の大木もあり、大いに楽しめる寺院である。一つ一つ見ていたら何時間も懸りそうなので、そこそこ見学して寺を後にした。
 善養寺
 善養寺を回り込むようにして、丘を登ったところに六所神社がある。府中大国魂神社から勧請されたと寺伝されている野毛、上野毛の鎮守さまである。長い歴史の中で多摩川の洪水に対して住民は苦心の取組を行ったようで、境内の片隅に鎮座する水神様を地元氏子たちが丁重に祀ってきたことで窺い知れる。神社は小高いところにあることから眺望はよく、南側には、武蔵小杉の高層ビル群を望むことができた。つづいて、野毛大塚古墳に向った。5世紀頃に造られた古墳で、全長100m、高さ11mに及ぶ大きさで、多種多様の副葬品が出土したようで、当時、この地域を支配していた大首長のものと推定されている。墳墓の上部には副葬品が出土した場所が、分かり易く図解で説明されており、古代豪族の生活の一端を知ることができて興味深かった。
六所神社
野毛大塚古墳
 野毛大塚古墳から、環状8号線に出て、等々力渓谷に向かう。都内23区の中で「渓谷」と呼ばれる名所はここだけとのこと。谷沢川が長い年月で浸食して出来た峡谷は、快晴の天気にも関わらず、多少うす暗さを感じる。晩秋のこの時期は、木々の葉も色を成し、紅葉散歩を楽しめる。古より、行者の修行場であったところで、谷に流れ落ちる滝の所では、早朝、深夜には、今日でも修行者が滝に打たれていると云う。川を下って行くと、等々力不動尊がある。この等々力不動尊は、満願寺の別院で、江戸時代、江戸名所図会にも描かれ、当時から多くの参詣者が訪れたと云う。きょうも多くの参詣者がやって来ていて、気軽に拝観できる本尊の不動明王像を拝みにやって来る。この不動明王は小さな造りであるが、眼光鋭く、唇を朱に染めて、刀剣を縦に構える姿は、邪念を抱く者にお仕置きをするかの形相で凝視しているので、思わず頭を下げてしまう。拝観して祈る人々の気持ちはそれぞれであるが、その光景は長い歴史の中で続けられてきたのかと思うと客観的に見ても微笑ましく感じる。つづいて、本院の満願寺に向かう。
等々力不動尊
 
  渓谷を引き返すように、上流に進み、ゴルフ橋から登って平地に戻った。等々力駅の踏切を越えて、数百メートル行ったところに、満願寺がある。世田谷吉良氏が創建したと云う当山は、堂々たる本堂や庫裡などの堂宇を構え、一見して裕福な寺院の印象である。本尊は拝顔できなかったが、当山を有名にしている一言地蔵や、江戸時代、赤穂事件が起きた頃の人で、儒学者にして名筆家で知られた細井広沢の墓をお参りした。また、当山の裏手に鎮座する延命ぽっくり地蔵も、人に迷惑をかけず”ぽっくり”の呼び名に関心を抱き参拝した。また、隣接する古社・等々力の鎮守玉川神社では、境内で居合せた宮司さんから、いろいろ説明を受け珍木「根浮きの椎の木」「とっくりクスノキ」等を興味深く観察させていただいた。本日は、18000歩余りの歩数で、比較的余力を残してお開きとした。 (幹事・石井義文)
満願寺
玉川神社
神社宮司さんの興味深い説明に感謝!
                  おつかれさまでした!!              
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