第20回お江戸散策 (2014年)は、当初予定した日が大雪の影響を受けて、延期を余儀なくされ、2月22日に実施することになりました。残雪が残る中でしたが、好天気に恵まれ、かえって風情の残る景観を眺めながら実施することができました。今回の散策の見どころは、神楽坂界隈編で登場した太田南畝の足跡が、いくつか散見できること、東京10社のうち2社を参詣できること、そして植木等ゆかりの寺を訪れることがあげられます。 JR日暮里駅北口に集合し、駅からほど近いところにある本行寺から散策を開始しました。
 本行寺は、江戸期には「月見寺」と呼ばれ、景勝優れた寺院として、文人墨客たちに親しまれたという。墓域に周り、太田南畝と交遊のあった書家の市河米庵や幕末期、幕府大目付として活躍した永井尚志の墓参をしました。隣接する経王寺では、彰義隊戦争のとき、彰義隊士たちが隠れ込んだため、新政府軍から銃撃を受けたという門扉を見て、聖域にも銃で攻撃する官軍の荒々しさに恐怖におびえる彰義隊士たちの姿に複雑な思いを感じました。経王寺を出て、御殿坂を少し行くと下り階段の下に「谷中銀座」の看板が見える。ここが夕焼けだんだんと名付けられた人気の下町商店街だ。秋の夕刻は、ひときわ夕焼けが素晴らしいという。谷中銀座を抜けると、不忍通りに出て、左100mほどのところにローソンがあり、その脇路地を曲がると、正面に公園が見える。須藤公園である。実業家、須藤吉左衛門の私邸であったが、須藤が東京都に寄付して公園となった。傾斜地を利用して周囲の水を集めて池を作り、その畔に弁財天が置かれ、近隣の人たちの憩いの場所になっている。出版の大手、講談社はこの近くで発祥し、その地は同社の社員寮になっている。次に向かったのは、団子坂を上ったところにある森鴎外の旧宅「観潮楼」。鴎外はこの家に30年間住み、この家から東京湾の望む景観を気に入っていたという。現在、記念館として新築のビルに生まれ変わっている。館を出て、大観音通りを白山方面に進むと、右手に身の丈6mの駒込大観音で親しまれている光源寺がある。本堂前の蓬莱梅と庚申塔が象徴的であった。光源寺の北側には、蓮光寺があり、樺太や国後、択捉等の千島列島の探検をして功績をあげた最上徳内の墓所がある。この蓮光寺の西側には、高林寺があり、大坂適塾という蘭学塾を興した緒方洪庵の墓がある。この高林寺や本郷通りの向かいにある天英寺の辺りは、江戸時代、駒込土物店と呼ばれ、周囲の農家で作られた野菜の市場があり、大いに賑わい、その繁栄は昭和初期まで続いたという。ここで、付近に、手頃なそば処があり昼食休憩としました。
本行寺
経王寺
夕焼けだんだん
須藤公園
鴎外記念館
  三人冗語の石
  森鴎外(左)と幸田露伴(中)と齋藤緑雨(右)は、鴎外が創刊した文芸雑誌『めさまし草』で「三人冗語」という文芸評論欄を書いていましたが、この3人が鴎外の家「観潮楼」の庭で撮った写真が残っています。この写真の鴎外が座っているのが「三人冗語の石」と呼ばれております。
光源寺
蓮光寺
高林寺 駒込土物店跡 
 昼食後の散策は白山神社から始めた。大化の改新後の全国寺社整備当寺の創建と伝わる古社で、徳川将軍家にも篤く庇護されてきたという。この神社から近いところに江戸の狂歌師太田南畝(蜀山人)が眠る本念寺があるので立ち寄って墓参をした。太田蜀山人は、お江戸散策では、いたるところで登場してきた人物で、幸運にも墓参をすることができた。再た、白山神社方面に引き返し八百屋お七の墓がある円乗寺、そして、お七が放火をしたという大圓寺へ向かった。大圓寺には、幕末期講武所支配役として砲術師範をした高島秋帆の墓がある。当寺院から北に進んだところの榮松院には、常緑樹で天然記念物に指定されているシダジイがあるというので、この寺院にも立ち寄った。噂に違わず幹周8mに及ぶ巨木で周囲を圧倒していた。次に向かったのが真浄寺。この寺院は、クレージーキャッツ植木等が小学校を卒業後、小僧として修行した寺院である。植木は、毎朝4時(冬季は5時)起きで、床の雑巾がけ、庭掃除、檀家周りなどをして、夕刻から近くの京華中学・高校に通ったという。そんな生活を6年間過ごしたそうである。この後、夏目漱石が「吾輩は猫である」「草枕」などの執筆活動をした住居「猫の家跡」を見て、東京十社の一つで権現作りの根津神社を参詣した。この神社はツツジの名所として知られ、今は時期ではないが、それでも多くの参詣者が来ていた。この根津神社をもって本日の散策は終了なのであるが、時間はまだ3時半。少々早く終わってしまった。 (つづく)
白山神社
大圓寺
榮松院
真浄寺
猫の家跡
根津神社
 日暮れまで、時間があることから、参加者の提案で、近くに弥生式土器発祥の地があるので、行こうということになり、歩みを進めると、途中、詩人サトーハチローの旧宅跡を知ることが出来た。弥生式土器の記念碑があるところは、江戸期、徳川御三家水戸藩の中屋敷があったところで、現在、東京大学弥生キャンパスの敷地にある。このキャンパスの中には、徳川斉昭の歌碑・「向岡記」碑があり、周辺には弥生美術館、竹久夢路美術館などもあって見どころ豊富である。。弥生門から東京大学の構内に入り、建築家・ジョサイア コンドル像の前で、スナップに納めるなど、日本最高学府の雰囲気を楽しんだ。東大構内をしばし散歩からは、東大医学部側の鉄門を抜けて上野方面を目指した。森鴎外の小説「雁」で知られる無縁坂を下って、不忍池に入り、中道を通って、弁財天に道中の無事を感謝して上野公園へ入って行った。上野公園では歌川広重が描いて有名になった「清水観音堂の月の松の風景」をしばし楽しんだ。御堂で小休止した後、西郷隆盛像、そして太田蜀山人の碑を見学して、長かった本日の散策を終了とした。当初予定より大幅延長の散策で、22,000歩を越える歩行であったが、全員、元気に歩き通した。このあとは恒例の反省会となり、御徒町アメ横裏路地の居酒屋で“カンパイ!”と相成った。(報告者・石井義文)
向岡記碑
弥生式土器発見地
竹久夢二美術館 
東京大学本郷キャンパス
無縁坂
不忍池弁天堂 
清水観音堂
西郷南州像と太田蜀山人碑